12/26

12/24の日記に「WAVE」と記していたが、正しくは「WAV」だった。電車の中で読み直していて気付いたのだが、その時は笑った。昔だったら考えられないミスだが、それだけ音楽中心の生活から離れてしまったということだろう。

6時起床。日勤。月曜だったので午前中は電話ラッシュが半端なかった。こちらが作業員にコールをかけ始めたタイミングで客先からの電話があふれた際、K竹さんに「H谷君電話出てよ」と怒り顔で指摘された。どう考えても今のタイミングで電話を受けるのは不可能だったが、作業員との通話を終えると「すみませんと」謝りながら、時間制限の厳しい客先からの新規案件を他部門の担当と相談するべく席を立った。理不尽な指摘にイライラしたが、まあこれほど忙しいと誰かのせいにしたくもなるわな、と横目に映るK竹さんをみながら思った。

昼休憩の際、タイミングをみてK竹さんの隣につき「さっきは電話でれなくてすみませんでした」と再度謝った。「あー、全然いいよー」とK竹さんは言った。

K島さんは依頼案件が山ほど残っていたので早々に帰れるわけもなく、K竹さんと自分は19時前に先に引き上げた。帰る前に屋外の喫煙所でK竹さんと少し話した。自分は参加しなかった23日の忘年会がなかなか壮絶だったようで、50名ほど参加していたにも関わらず2次会のセッティングを誰もしておらず、1次会の途中でそれを知ったK竹さんが急遽2次会の場所を抑えて幹事として取り仕切ったとか、まあとにかく話しぶりからして大変そうだった。

 

12/25

休み。胸が締め付けられるような感覚に襲われることはここ数日でめっきり減ったが、かわりに気分がずっと晴れない。低調が続いている。

潜水服は蝶の夢を見る」を観る。面白かった。ちょっと間延びしてたけど良いカットが多かった。何もできない状態でも、夢を見ることはできる。ジャンはある方法で言葉を伝えることができた。もし、それさえ難しかったら、と考える。生きることと死ぬこと。選択肢の数が違うだけで、みんな同じなのかもしれない。

12/24

休み。テレビを置いている棚下の引き出しをなんとなく開けると、実家から持ってきた数少ないCDやらDVDやらが目に付いたので、「星になった少年」のサントラを聴き、「ブローバック・マウンテン」と「マグダレンの祈り」のDVDを観た。

WAVE音源を久しぶりに聴いたが、やはりMP3とは違うなと思った。要はWAVEだと低音の鳴りが違うなっていうあたりまえの話。ファストフードのような洋楽ポップスはMP3で構わないが、オケはWAVEで聴くべきかなと感じた。あと坂本龍一はオケがうまいとあらためて思った。

DVDは2枚とも再見になるが、「ブローバック・マウンテン」はやはりすごく良く、ちょっと泣いた。「マグダレンの祈り」は今見るとそんなでもなかった。

12/22,12/23

気分の上下が激しい。何を書けばいいのかよくわからない。

誰のための日記なのか。僕だけがわかればいいはずだ。僕のわかる文字で書けばいいはずだ。

 

14時起床。早く目が覚めてしまった。退屈であり憂鬱であり、神経が逆立ち、しなびれる。ガムを噛むように飯を食べ、身を整える。労働の時間が今日もやってきた。

通勤はいつも長い。長すぎるからもっと長くしてくれと思う。眠るにも、起きているにも半端だ。

僕の想いが流れて落ちるべき場所をくれ。僕は早く干からびてしまいたい。乾いてしまいたい。

相変わらず労働は手錠の様で首輪の様で嫌になる。飼い主はここにいる全員だ。K島は仕事が遅いのではやく帰るのに気が引ける。今日もたぶん昼過ぎまで残ったんだろう。俺は俺の仕事をすべて終わらせたし、少しは手伝ってやったんだ、誰も咎めはしない。相対主義的なところは似ていると思うが、あいつは頑固だ。蓋を開けると石みたいだ。俺は他力に頼る。何が何でも。

家に着いたのは13時過ぎだった。

12/21

日勤。6時起床。

18時から本社近くのホテルで創立〇周年記念パーティーがあり、仕事が終わり次第向かう予定となっていたが、夜勤の交代間際で新規4件をたて続けに受けたので出席せずにすんだ。K島さんはパーティー出席のため19時前に引き上げていった。

仕事終わりにK竹さんとY中さんと飲んだ。はじめはK竹さんと二人で飲み、途中からY中さんが参加した。K竹さんに、変形労働時間制の説明の際あの人がこちらを全く見ようとしなかったと伝えたら、それはFさん気にしすぎだけど、まあそりゃそうだよ、と言われた。そんなものかと思った。昨日あの人が職場に挨拶に来たらしく、でもFさんも瘦せたよねえ、と言うので、そういえばこの間あった時も少し痩せていたように思い返され、マジか、と思った。女装とかは興味ないの、と聞かれたので、全くないと答えた。月に手取り20万もらえれば10万近くは貯金できる生活をしていると言うと、もう僧侶になればいいじゃんと雑に返された。

Y中さんと合流してからは仕事の話をした。というよりほぼY中さんの愚痴だった。やはりY中さんは色々と溜まっているようだった。仕事の細かい部分でダメ出しをくらった。よく見てるなあとあらためて思った。Nさんが辞める件については、Nさん自らY本さんに辞めたいと申し出があったそうで、Hさんから聞いていた話と違った。また、最近になってようやくSさんが使えないことに気付いた上の連中が、Sさんを辞めさせようと躍起になっており、また新人のS木さんもやめることが確定しているとのことで、「ウチの会社としては今すごくチャンスなんだよね」とK竹さんは言った。

23時前に解散した。帰りの電車でクリスマスの話をした。K竹さんは家で子供交えてパーティーをする予定で、今は部屋の飾りつけをせっせと進めているらしい。24日の夜には息子さんが飾った靴下に買ったプレゼントを忍ばせるつもりだとのことで、すごくちゃんとパパやってるんだなと感心した。

 

12/18,12/19

休み。広島の死んだ祖父が出てくる夢と、5時に夢中の撮影現場に居合わせる夢を見た。

どうにも眠い。眠りに眠って、目が覚めてはもぞもぞと活動し、またすぐに眠る、みたいな。

とにかくこの布団が気持ち良すぎるのだ。少しもぐりこんでみれば感じていたはずの重みは一体となりすぐに消え失せ、自身との境目がどんどん曖昧になっていく。

N希と電話で話した。N希は少ししんどそうで、大丈夫かなと思った。N希が楽になればと老荘思想に救われたみたいな話をしたけれど、なんだか空転していたように思う。

N希になぜブログをやっているのかと聞かれた。なんでだろうと思った。今一つ明白な、しっくりくる理由が見つからないが、まあおおよそ暇だからだろう。本を読むことも文を書くことも全くしてこなかったが、実際に何か書いてみるとやはりあとは音楽と一緒で、こねくり回したくなる。この粘土をこねあげるような感覚が単純に好きなんだと思う。

母から食料が届いた。正直、こんなにたくさん良い物を頂いてもしょうがないのになあ、と思う。食欲をまずまずコントロールできている今、身の丈に合った安物で十分なんだけれどと思うが、せっかくなのでありがたく頂くことにしよう。