12/21

日勤。6時起床。

18時から本社近くのホテルで創立〇周年記念パーティーがあり、仕事が終わり次第向かう予定となっていたが、夜勤の交代間際で新規4件をたて続けに受けたので出席せずにすんだ。K島さんはパーティー出席のため19時前に引き上げていった。

仕事終わりにK竹さんとY中さんと飲んだ。はじめはK竹さんと二人で飲み、途中からY中さんが参加した。K竹さんに、変形労働時間制の説明の際あの人がこちらを全く見ようとしなかったと伝えたら、それはFさん気にしすぎだけど、まあそりゃそうだよ、と言われた。そんなものかと思った。昨日あの人が職場に挨拶に来たらしく、でもFさんも瘦せたよねえ、と言うので、そういえばこの間あった時も少し痩せていたように思い返され、マジか、と思った。女装とかは興味ないの、と聞かれたので、全くないと答えた。月に手取り20万もらえれば10万近くは貯金できる生活をしていると言うと、もう僧侶になればいいじゃんと雑に返された。

Y中さんと合流してからは仕事の話をした。というよりほぼY中さんの愚痴だった。やはりY中さんは色々と溜まっているようだった。仕事の細かい部分でダメ出しをくらった。よく見てるなあとあらためて思った。Nさんが辞める件については、Nさん自らY本さんに辞めたいと申し出があったそうで、Hさんから聞いていた話と違った。また、最近になってようやくSさんが使えないことに気付いた上の連中が、Sさんを辞めさせようと躍起になっており、また新人のS木さんもやめることが確定しているとのことで、「ウチの会社としては今すごくチャンスなんだよね」とK竹さんは言った。

23時前に解散した。帰りの電車でクリスマスの話をした。K竹さんは家で子供交えてパーティーをする予定で、今は部屋の飾りつけをせっせと進めているらしい。24日の夜には息子さんが飾った靴下に買ったプレゼントを忍ばせるつもりだとのことで、すごくちゃんとパパやってるんだなと感心した。

 

12/18,12/19

休み。広島の死んだ祖父が出てくる夢と、5時に夢中の撮影現場に居合わせる夢を見た。

どうにも眠い。眠りに眠って、目が覚めてはもぞもぞと活動し、またすぐに眠る、みたいな。

とにかくこの布団が気持ち良すぎるのだ。少しもぐりこんでみれば感じていたはずの重みは一体となりすぐに消え失せ、自身との境目がどんどん曖昧になっていく。

N希と電話で話した。N希は少ししんどそうで、大丈夫かなと思った。N希が楽になればと老荘思想に救われたみたいな話をしたけれど、なんだか空転していたように思う。

N希になぜブログをやっているのかと聞かれた。なんでだろうと思った。今一つ明白な、しっくりくる理由が見つからないが、まあおおよそ暇だからだろう。本を読むことも文を書くことも全くしてこなかったが、実際に何か書いてみるとやはりあとは音楽と一緒で、こねくり回したくなる。この粘土をこねあげるような感覚が単純に好きなんだと思う。

母から食料が届いた。正直、こんなにたくさん良い物を頂いてもしょうがないのになあ、と思う。食欲をまずまずコントロールできている今、身の丈に合った安物で十分なんだけれどと思うが、せっかくなのでありがたく頂くことにしよう。

 

12/17-

15時起床。夜勤。

立川駅では大勢の学生たち(おそらく中学生)が何やら活動をしていた。いくつものグループが「ご協力お願いしまーす!」と通行者に向けて必死に声を掛けているのだが、一体何の活動をしているのかわからなかった。改札付近に差しかかったところでようやく「ユニセフ募金活動にご協力お願いしまーす!」と聞こえてきて、いや遅いわと思った。顔を歪ませるほど大声を張り活動しているさまは教育としては一見成功しているように思えるが、学生たちに自発性が全く見て取れない、こんなものは教育者の傲りだ。 

K島さんの代わりにN川さんが出勤した。日勤はHさんとK久保さんだったのだが、Hさんはすこぶる体調が悪そうで、話を聞くと今朝までK島さんと二人でと飲んでいたとのことだった。川崎の歓楽街で湯水のように金を使ったらしい。Hさんは財布に入っていた有り金3万を、K島さんは15万ほどを一夜で溶かしたとのことで、馬鹿げた話である。

K久保さんが土産物の帝国ホテルのチョコをくれた。K久保さんは40過ぎのおじさんでどこか行っては土産を買いみんなに配ってくれるのだが、その振舞いといい土産のチョイスといい気が利くばばあみたいな感じがしてかわいい。基本的に自分のことしか喋らないし、バツ2の身の上であるのに生まれて間もない自分の子供の写真を見ては「俺に似てかわいいな~」と漏らしているので本当に阿保ではあると思うが、自分とは異質なそのメンタルが何とも愛らしいと感じる。あの人に惹かれているところもそういった逆説的な、要はおつむが弱い部分だ。なんせ両者とも本当に子供というか、もはや赤子である。

メールは少なく、新規もそれほど多くなかったので楽だった。N川さんはあまり喋るタイプではなく、こちらも気の許した人間以外は徹底的に聞き役にまわるので、いつも交わす言葉は数える程度であるが、別段気まずいというわけでもない独特の空気感があり、それが中々どうして心地が良い。9時過ぎに引き上げた。

12/16

6時起床。日勤。

立川駅で乗り換えの際、高島屋ビルの屋外モニターにスマップのCM(楽曲メドレー)が流れており、いつもは垂れ流されるCMに無関心の装いであったはずの通行人たちが、そろって顔を上げてモニターを確認するしぐさに、ふと納得されるものがあった。

新規13件。忙しかった。Nさんは体調不良を理由に今日も休んでおり、代わりにHさんが出勤していた。

帰りしなHさんから飲みの誘いが入った。断りたいのは山々だったが、一緒の勤務は久しぶりだったわけであるし今日ぐらいは仕方がないかと思い、了承した。K竹さんは昨日飲みすぎたからと先に帰り、Y中さんはA木さんと飲むとのことで、HさんとK島さんと自分の3人での飲みとなった。

酒を飲むのは久しぶりだった。話したことといえば9割方女の話で、つまらなかった。Hさんの話の中で、Y本さんがNさんを辞めさせる方向で動いている旨の情報があり、残念に思った。Y本さんが決断した理由としては、やはり休みがちなNさんに対するE口さんとH田さんの不満があったようだ。もし本当にNさんが辞めてしまった時、E口さんとH田さんはどう思うのだろうか。彼らにとって苦しい記憶にならなければいいのだが。

川崎の風俗に行こうと誘われたがまあまた今度と断り、23時過に先に引き上げた。帰りの電車で2駅寝過ごした。終電だったので仕方なく歩いて帰宅した。少し飲みすぎた。

12/15

休み。何をしたかな。

ご飯を作って、食べて、筋トレして、シャワーを浴びて、コーヒーを飲んで、本を読んで、音楽に浸って、歌を歌って、洗濯ものを干して、取り込んで、あの人は今何をしているだろうと、想いに耽ったりして。一日中ごろごろしていた。

光か、もしくは影が目の端をかすめることがよくある。そちらを向くと姿はない。誰かの思惟が飛んでいるようにも思える。空も、壁も、ぼうっと眺めていると、色見を帯び始める。お前は誰だい。

12/14

この世から消えてなくなりたい。そういう気分の上下が、日記を綴ろうとする動機と比例した線を描いている。

休み。24H以上起きていたのだから本来しっかりと眠らなければつり合いが取れないはずが、そういう時に限って深い眠りは遠く遠く、煩わしい。

日記を読み返してみる。まだ3週間ほどの継続だけれど、どうやら自身の事後の記憶媒体として確かに機能しているらしいという実感に、面白いなと思った。他人のブログを読んでいても決して得られない趣がある。

「囀りとつまずき」を読む。読んでいるうちに以前の所感とはまた別の側面が露になってきた。感想は読後に書くことにしよう。なんせまだ1/4も読めていない。

soundcloudで最高に美しい曲を見つけたので貼っておく。この手の曲で心動かされたのは久しぶりだ。ノスタルジーだけではない、カタルシスまで丁寧に表現されている、終末の音楽。

soundcloud.com