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6時起床。母と父はすでに起きていた。母は5時に起き、父は5時半に起きたようで、大体いつもこの時間に起きるそうだ。父は7時前に家を出た。

浅野いにお おやすみプンプン」を読む。全然好きになれない話だった。N希が好きだった作品なので、どんなものかと思ったが、自分にはつまらなく感じた。中島哲也の「告白」とか「渇き」とにたような感触を覚えた。まともな人がほとんど出てこない助長された醜悪は、リアリティなんかじゃ決してなく、ただただ下品だと思う。シンボリックな表現(最後の方のプンプンの角とか)も本当にさぶく、狙って澄ましたその作りに、心動かされる描写は1つもなかった。

30分ほど散歩をした。小学校の周りをぐるっと回った。平日だったので、体操着を着た子供たちが校庭にいた。授業中だったみたいだ。校庭は今も変わっていないところと、新調されて変わってしまったところがあり、そういった物々すべてが、遠く忘れていた記憶を呼んでくる。ここにはもっと木が生えていたよな、とか、こんな遊具は前はなかったよな、とか、ここのベンチは変わってないな、とか。あの頃は本当に無垢で馬鹿で、いつも何かに怯えていたよな、とか。

昼は母と一緒に映画館の入っているイオンへ向かった。

向かう道中、昔の話をした。母は変わった。今母は、子供の様に、年寄りの様に、弱々しい。昔はよくイライラしていて、よく怒られた。よく腕や頬をつねられた。つねられたところは、たいてい皮がめくれ赤く跡がついた。車の運転も、こんなにノロノロしていなかった。車間距離を全然とろうとせず、前の車を煽るような運転の仕方だった。そういう荒い運転がずっと嫌いだった。今は横でおちおち寝るのも不安になるほど、ふらふらで、危なっかしい。母は言った。昔はわたしがちゃんと立派に育てなきゃ、と意気込みすぎていた、それでうまくいかない事に、いつもイライラしていた、と。母は自分の子供が、こんなに生きづらい人間になるなんて、夢にも思ってなかったんだろう。母は子育てで大きく挫折をし、それから変わった。自分の苦しみが、悲しみが、今も途方もなく母を苦しめる。

昼飯を食べていなかったので、フードコートでたこ焼きを買い二人で分けた。箸がついておらず、二人とも楊枝で食べたが、一個一個が大きくて熱くて、食べるのになかなか手間取ったが、美味しかった。

この世界の片隅に」の映画を見る。淡々と話が進む原作を、アニメーションに落とし込んで丁寧に表現されていて、感動した。すごくよく作りこまれていた。能年玲奈が素晴らしかった。音楽も素晴らしかった。映画館内には人が結構入っており、上映中は泣いている人たちが結構いた。そして、スタッフロールが流れ終わるまで、ほとんどの人が席から離れず、映画館を後にするときも、みんな本当に静かだった。この映画に対して、礼をはらっているように見えた。母は後半ずっと泣いていた。晴美が死ぬシーンよりも、広島に原爆を落とされて、空にきのこ雲が浮かぶシーンの方が、泣いている人が多かった。

ただ、何点か疑問を抱く箇所はあった。一番残念だったのは、リンの話がほとんどごっそり抜けていたことだ。「この世界の片隅に、うちを見つけてくれてありがとう」という、タイトルにもなっている、非常に重要なすずのセリフがあるが、これはリンの言っていた「この世界のどこにでも、居場所は見つけられるよ」みたいなセリフを受けてのことであるし、海原にすずが「周作に腹が立つ」と言うシーンも、ここまでリンの話が抜かれていると、なぜ腹を立てたのか意味がわからないだろう。すずがなんだか身勝手な感じに映ってしまう。また、漫画では周作との子供ができないのを、すずが気に病む話があったが、これも映画のほうはなかった。こういうもろもろを受けての「うち広島へ帰る」じゃないのか。あと、敗戦のラジオ放送を聞いた後すずが泣くシーンがあるが、この時のセリフが変わっていた。これも原作の方が圧倒的に良い内容で、なんでわざわざ差し変える必要があったのか、よくわからなかった。

帰りに回転寿司に寄り、少し腹を満たしてから帰宅した。母はあそこの寿司屋は味が落ちてたと漏らしていた。家に着くと、最近の寝不足のせいか急に眠くなり、夜飯を食べずに4時間ほど寝た。起きるとと22時をまわっていた。鍋を食べた。母と父はすぐに2階へ寝に上がった。

それから、実家に帰ってからずっと感じている、沈んだ気分に向き合った。そして、母が帰るたびに弱々しくなっていっているのが、この沈んだ気分の正体だと、やっとわかった。泣いた。自分の悲しみが、苦しみが、誰かを傷つける。あの人も感じているのだろうか。自分の悲しみを、背負わせてしまったのだろうか。